はじめまして 蛯名佳子です。
気軽に ”えびか” と呼んでいただければと思います。
えびか という人間を少しでも知ってもらうため、生い立ちや今に至るまでをお伝えします。
・・・ですが、本当にすごいことは何もないので期待はしないでください。
むしろ親近感を持っていただければありがたいです。
尚、長文になりますが、最後までお読みいただけるとうれしいです。
愛情を求めた幼少期
私は中間子として産まれました。
幼少期の頃、母親は未だ幼い妹ばかり構っていました。
父親は厳格で厳しい人で近寄りがたく、私は孤独を感じていました。
そんな私はもっと「自分を見て欲しい」「もっと構ってほしい」という気持ちから、
自分なりに親を喜ばせそうとしました。
他兄弟と違うところを見せようと豪快なことをしてみせたり、母の財布になけなしのお年玉の一部をこっそり入れたり。
一貫性のない行動に見えますが、実はある思いがあってのことです。
愛情 や 優しさ で大切な人と心が繋がりたい。
そんな思いから自然と「周りを笑顔にしたい」と感じるようになっていたのもこの頃からです。
両親との関係性
小学校以降になると、自分と周りの違いが把握できるようになっていました。
私の親は「ああしろ」「こうすべき」といったタイプです。
欲しいものやお願いごともできず、よその子が羨ましいと感じました。
このころから、窮屈感を感じ、居心地が悪いと感じ始めていました。
夕食後に父がいなくなると、私はよく家族を笑わせていました。
中学以降は父との関係はどんどん悪くなっていきました。
10代のころは父と会話するのも嫌なくらいでした(今思うとほんとひどい娘です)。
結局父と分かち合えるようになるのに、○十年もかかってしまいました。
父や母だけでなく家族には本当に辛い思いをさせてしまいました。
そんな父も昨年亡くなりました。
亡くなる前、父から母のことを「よろしく頼む」と託されました。
父に対し親孝行できなかった分も、今は母のために出来ることをしたいと思っています。
定期的に、病院への付き添いや畑仕事や一緒に食事をする など。
この時間のおかげで
私の心は満たされ、温かい気持ちになれます。
目的のない人生
私の得意な教科は、美術・体育・音楽 でした。
美術については父が美術の先生だったこともあるかもしれません。
この3教科は小学校以来ずっと成績がよく、自分自身も好きな教科でした。
ですが、高校受験の時には自分の中で実用性がなくムダなもの と思い込み、いつのまにか熱量も下がってしまいました。
そんな中、私は人に何かを相談することができなくなっていました。
自分が「どうしたい」「どうなりたい」が分からず、そんな状態で人に相談すべきではないと思っていました。
高校受験の時も大学受験の時も、誰かに相談した記憶がありません。
今思うとどうやって決めたんだろ・・くらいなもんです。
幸い(ではない気がする)なんとなくそつなくこなせていた私は、高校は地元の進学校に入り、大学は三流大学に入り、なんとなく地元の企業に就職しました。
人生に目的はなかったですが、その頃の私は「好きではないけど嫌いでもない」「なんとなく日々楽しければいい」という気持ちでした。
やっとやりたいことが見つかった
当時(かなり前のこと)、私はあるソフトウェア会社に勤めていました。
ある日、急にネットワークに繋がらない という事象が発生しました。
どうしていいのか、オロオロしていたその時に先輩Aさんは現れました。
Aさんは私たちに指示を出しながら、ものの30分くらいで復旧させました。
原因について質問をするとAさんはホワイトボードで絵を描きながら丁寧に説明してくれました。
その時私は衝撃を受けたのです。 だって目に見えないものがまるで見えているようなんですよ!
これ以降、独学でネットワークや他インフラの勉強をし、幾つか資格も取得しました。
約1年後、私は某メーカーグループのIT企業に入社しました。
その後約15年のインフラ生活が始まったのでした。
全てはネットワーク障害から始まったこと。
もしあの時、ネットワーク障害が起こらなかったら
もしあの時、Aさんに質問しなかったら
もしあの時、自分の衝撃(感覚)を大切にしなかったら
もしあの時、行動しなかったら
自分で「やりたい」と思い目標に向けて行動にうつしたことで、自分の人生は大きく変わりました。
果敢にチャレンジし続ける自分
IT企業に入社し、まず私はOA機能を任せられました。
ネットワークを何とかやりたい!!
当時、ネットワーク担当だったBさんに自己紹介もそこそこに思いをぶつけました。
Bさんは早速上に掛け合ってくれました。
半年後、私はBさんと机を並べ一緒にネットワーク業務をしていました。
経歴に書ききれないくらいの、様々な経験をさせていただきました。
辛く苦しく、時には泣くこともありましたが、
それ以上に充実していましたし大きな達成感を感じていました。
経験がない私に沢山の挑戦の場を与えていただき、また時には一緒に頭を下げてくれたBさんには感謝しかありません。
Bさんがいなかったら、今の私もいないと思います。
その後、私が昇進したことでBさんとは部署が離れてしまいますが、ネットワークを主軸でやってきた経験からセキュリティやAIなど、着実にスキルと経験を重ねていきました。
キャリアコンサルタント・コーチングとの出会い
そんな充実した日々が約10年ほど続いたころ、大きな転機を迎えました。
そのことが原因でなんと私は自分の業務を投げ出してしまいました。
それまでどんなに辛くても逃げない姿勢を取っていたのに・・・。
私は会社を休職することにしました。理由はメンタル。
休職を決めるまでがまず苦しかった。なぜなら、話せる人がいなかったから。
休職中は同じことをグルグル考えていました。
「なぜこうなったのか」「あの時どうすればよかったのか」「回避できたのか」など。
正解を求めて過去の事柄に対する手段や方法ばかり考えていました。
人事と定期的に面談もしましたが、答えはでません。
幸い時間だけはたっぷりあったので、私は近所の図書館に頻繁に本を借りにいきました。
主に読んだジャンルは自己啓発・経営・ビジネスなど。
自分自身の仕事の捉え方を変えることで何か変えられるのではないかと思っていました。
不器用で明確な方法は分かりませんでしたが、気持ちだけはありました。
休職してから約半年後に復職することができました。
復職後、同じ部署に対して感じ方が変わりました。
客観的に見ることができたのと、冷静に人間ウォッチングができたこと。
休職前の私は、忙しさのあまりに冷静さを失っていたのかもしれません。
そこで感じたこと「あれ?私と同じような人がいる」。
ネガティブ・モヤモヤ・受動的・ため息が多い 加えて愚痴が多い。胸が苦しくなりました。
誰かに受け止めてもらえず、解消するわけでもなくそんな自分を仕方ないと付き合っていく。
”情報の交換”はできるが”気持ちの交換”はできていないから虚しさを感じる。
少しでもそんな思いをしてもらいたくないと思い、キャリアコンサルタントを学び資格を取得しましたが、上手く生かすことができなかった。
ならばとコーチングを学びました。
自分自身に意識が向くようになり、自分の価値観を少しづつ感じ、考え方や捉え方の特性も分かってきました。
自分をで自分を認めることができたことは非常に大きいことでした。
これなら役に立てる!そう思った矢先に企業全体に大きなうねりが・・・・。
新たな私
私は勤めていた会社を辞める決断をしました。
理由は、コーチング×キャリアコンサルタントを活用し外部からビジネスパーソンのコミュニケーション支援をすることを決断したからです。
今、企業に属していた頃を思い出すとまるで”井の中の蛙”だったなーと思います。
”井の中の蛙 大海を知らず されど空の青さを知る”
企業に属していた時は狭い世界で頑張っていました。
その世界で深く突き詰めたことで物事の真意や考え方を確立できました。
またその世界にいたから小さくても青い空を見ることができたと思います。
そんな自分だからこそ経験を生かし IT業界のコミュニケーションを深化することで、拍車がかかった情報化のスピードを支えることができるのではないかと と考えています。
今の私の目標は ITにもっとコミュ力を! です。
改めて感じたこと ・私は愛情や優しさ、それぞれの価値観を大事にしたい ・自分を変えるのは自分しかいない ・感じ方捉え方ひとつで自分が変わる ・何かあっても人のせいにしない ・自分のことは自分の責任 ・仕事はシステマチックにするもの ではない ・自分の気持ちに従い両親を大切にしている自分が好き ・行動できている自分が好き
今度はあなたの番です。
あなた自身をもっと知ってほしい。
あなたにしかない価値観に触れたい。
そしてその中であなたの背中をそっと押すことができたら・・・
いつもの見慣れた風景が少し鮮やかな色に変わるかもしれません。
最後までお読みくださりありがとうございました!!